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天才とは努力の異名なり

全盲・全ろう博士号 福島智・東大准教授に授与

目と耳がともに不自由な東京大学先端科学技術研究センターの福島智・准教授(45)に、博士号が授与されることが決まった。全盲ろう者の博士号取得は日本で初めてといい、11日に東大駒場キャンパスで授与式が行われる。

2008年06月09日  読売新聞)

この福島准教授は、9歳で失明、18歳で聴力を失うという過酷な状況に陥りながらも、母親が考案した「指点字」(点6つを組み合わせる点字を応用して、両手の指6本で福島さんの手をたたくというもの)を習得し、盲ろう者として国内では初めて大学に進学されたそうです。

研究されている分野は「障害者と社会のありかた」で、自らが光と音の無い世界に陥ってから、「指点字」を使い他者とのコミュニケーションを取り戻すまでの過程をまとめられた論文が、博士号授与の対象になったようです。「人生をかけて、自分しかできない実験を続けているようなもの」と発言されている福島さんが「コミュニケーションは空気や水や食べ物と同じぐらい重要」と述べられているのは、光と音に囲まれた生活を送っている人間には表現し得ない重みがあります。

このニュースを読んで心が震えてしまうのは、福島さんが現在に至るまで不断の努力を重ねてこられたであろう事が、言葉を尽くさずとも読み取れるからだと思います。少しだけ想像してみてください。人間の認識や判断は、他の動物に比べて圧倒的に視覚に依存しています。もし、自分の目が突然見えなくなったとしたら?さらに聴力も失って一切の音さえも聴こえなくなったとしたら?

「辛い」「大変」などと言った言葉ではとても言い表せません。自分の周りにいる人間が誰なのかさえ判別できない、自分の周りで何が起きているのかさえ把握できない。僭越ながらも福島さんの業績を評価させていただくならば、この方はそういった逆境に「負けなかった」。博士号や何やらより、この1点こそ最も偉大で尊敬すべき事柄ではないでしょうか?

目が見え耳が聴こえる人間にとっては、障害やハードルにすら感じられない日常の数々が、福島さんにとっては高くそびえる壁だったと思います。ましてや後天的に視聴覚を失われた福島さんにとって、それまでとのギャップは想像を絶するものだったでしょう。それでも彼は、そんな逆境に立ち向かい、くじける事無く前進を続けてこられたのです。人間とは大して強い生き物ではありません。理不尽な逆風が強ければ、簡単に負けて逃げ出してしまいがちです。辛い現状・境遇、何より自分自身から。

逆境に負けないと言う事は、その置かれた状況から逃げ出してしまいたくなる自分、弱音や愚痴を漏らしたくなる「自分の弱さに負けない」という事ではないかと思います。逆境だけとは限りません。恵まれた状況、誰も見ていない状況、誰もが皆やっている状況…。そんな時、楽な方向に向かいたくなる自分の弱さに負けない、というのも簡単な事ではないでしょう。

けれども、人間の歴史を振り返ってみると、偉大な人物として語り継がれている人々は、概してこの「自分の弱さに負けない」という共通点があるように思います。そして、タイトルどおり常に自分の弱さとたたかい続ける努力を重ねてきた人が「天才」と呼ばれるのではないでしょうか?そういった観点から見れば福島さんも間違いなく「天才」なのでしょう(凡人が推し量る事ではありませんが…)。

人間はあまりにも刹那的で、自分が今この瞬間手にしているものの大切さになかなか気づけません。福島さんの境遇を知れば、こうしてパソコンのモニタを眺めながら文字を読み書き出来るという事でさえ、とても大切で有り難いものなのだと気づく事が出来ます。何気ない日常のひとコマでさえも大事な瞬間なのだなぁ、との思いを噛み締めさせてくれた貴重なニュースでした。

「満足」という言葉は「何かを手にして満ち足りる」のではなく、「満ち足りる事を知る」ではないか?何かの本で読んだそんな一節が頭をよぎりました…。
 

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